電動車椅子に乗るつもりー車椅子から見える世界(1)ー

 

 今年の春頃から車椅子を借りることを考え始めていた。電動のものを探していた。私の要望にすべて応えてくれるものはないけれども、とにかく機種を決めレンタルの手続も済ませた。

 車椅子を利用しないでも、自分の足で動き回れる体力はまだ残っている。その能力は残り少なくっているが、努力すればまだ当分の間は維持できると裏付けもないのに勝手に考えている。それでも90歳代まで生きようとすれば、やはりこの器械に頼らざるを得ないだろう。力がまだ残っているうちに使い方を覚えて備えておきたい、可能な限り人の助けを借りずに生きる備えをしておきたいとの考えもいつも頭をもたげるのだ。
 現在の高齢者支援の制度では車椅子利用に対する支援はご本人の介護保険の評価が上がらぬ(?)限り、つまり自力で動けなくならない限り不可能なのだ。このような制度は実におかしい。しかし私の考えるようにすれば、日本の都市のバリアフリーと称する施策のいい加減さはたちどころに露呈することになるだろう。特に私が今住むまちの仕組みは高齢者には惨憺たる状態であることはたちどころに明らかになるだろう、要するに今の制度や都市の構造は車椅子にのって自力で生活したいという高齢者や障害者の願いを押さえ込む、彼らを介護という仕組みで家の中に閉じ込める体制ではないのか。そういうことをこのところずっと考えている。

 このところの疫病大流行で、私の生活は激変した。外出を控えるようになった、というよりも控えざるをえなかった。友人たちと会う機会もなくなった。美味と美酒を求めて市中を徘徊することも出来なくなった。これでは体力が衰えていくのは当然の成り行きだろう。それに歩調をあわせて知的好奇心も萎える。この状態を放置すると、悪循環が進み死に至る。私は焦り始めたようだ。電動車椅子を使えばこの悪循環を断ち切れるのではないか、それ以上に私の好奇心の地平も格段に広がるのではないかと考え始めたのだ。
 
 現物が入ったと業者から知らせがあった。長い人生で自動の乗り物を手元に置く機会はまったくなかった。そのようなものに生まれて初めて乗れることに私は子どものように胸が高鳴った。ところがである。搬入してもらうと、勝手口の段差を超えられないのだ。利用開始はあっけなく延期に追い込まれた。
 勝手口にあったサイズのゴム製の段差解消スロープを探すのに時間がかかったが、なんとか入手。ところが疫病の再度の大流行と連日の猛暑という異常事態、しかも収まる兆しが見えないのだから、私の計画は当分の間お預けとなった。

 それでも私はあれこれと計画だけは練っている。この車椅子に乗ってどこまで外出できるか、その外出の障碍をどうやったら突破できるか、脚力の維持のための努力とどのように両立させるか。地図を調べて対策を考えるだけでも実に面白く、閉じこもって生きる現在をいくらかは改善してくれる。